『いくもん!』便り(3)

『いくもん!』の試し読みはこちらからどうぞ!

 

 先月、

「いくもん!」を読んで、分からない側の気持ちを分かろうとしてみた

というタイトルで

拙作『いくもん!』の書評をMAMApicksさんから頂戴しました〜。

 

書評記事の掲載された媒体は広く公開されたメディアなので、

(育児や教育に関するニュースとコラムのサイトだそうなので、)

私もじゃあ、書評記事の書評として、育問しようかな(笑)

 

しかしここで子持ちが一番言ってはいけない言葉が、「子どものいない人には分からない」ではないだろうか。

たしかに子育ては想像をはるかに超えることの連続である。だけど、「子どものいない人には分からない」と切り捨てることは何も状況を良くはしない。良くはしないどころか火に油か。

以前、似たような議論がネット上で起こっていたとき、2児の母である女性が、「育児で苦労した人にしか分からない問題もあると思う。だからこそ分からない側の気持ちも分かる親ではありたい。」と言っていた。

この言葉にはハっとさせられた。「分からない側の気持ちを分かろうとする」ということ。その意見が正しいか正しくないか、をジャッジするのではなくて、その人の意見として受け入れるだけのこと。議論が熱を帯び、自分の主張を通したいと思うと、それさえもできなくなるときがあるのだ。

 

MAMApicks 2014年2月27日 12:00付

【書評】「いくもん!」を読んで、分からない側の気持ちを分かろうとしてみた より

 

本文を読む前に「おおおおっ!」と思ったのは

【分からない側の気持ちを分かろうとしてみた】

というタイトル。

 

“分かる”

"分からない”

…という区分をする時っていうのは、一般に

"分からない”よりは

”分かる”ほうが、いいし、 より優れている。と、

定義・認識されているかなーと私は思っていて、

たとえば、

授業の内容がわかる、とか、何が悪いかわかる、とか

世の中の物事がわかる、とか、人の気持ちがわかる、とか、

どんな例文を作ってみても、私の知る限り、

"分からない"側が

"分かる"側よりも

優れていたり歓迎されたりしているケースっていうのは、ない!

ない筈!

 …………………………………という認識を持っている私が

読んでしまったものだから、タイトルの "分からない側"という

切り捨てた呼称の選定に「うわー!!!分からない側です!

本当に申し訳ありません!!」「私は、そうです、分かりません!

理解できていない側です!分からない側です!」「著者の私が

分からない側だから当事者の皆さんの気持ちを脅かすわけです!」

という罪悪感と被害妄想と

分かる側から分からない側に向けて生じているような気が

勝手にしてしまうプレッシャーと、

どうしようもなさ(『いくもん!』の読後に「分からない側」と

呼ばれたということは、内容を無理解と切り捨てられたのでは

ないとしたならば、少なくとも漫画本文は"分からない側"ないし

"無理解者"の意見として属性に準じて処理されたわけであって、

多分私は産むまで"分かる側"に分類されることはないので、

経験の有無に終始するどうしようもなさを感じています!)

(…まあ産んだところで、子供を持ったあとの私の意見が

『いくもん!』に描かれているのと殆ど変わらなければ今度は私

「"分かる側"の筈なのに分かってない人」になるんだけど…。)

に苛まれて、なかなか書評の

本文を読み進められず、暫くタイトルを眺めていました。

 

「親フィルター」を装着していると、自分の子どもが可愛く見えるのは当然のこと、よその子どもも可愛く見えたり、子どもにまつわるニュースなどが他人事とは思えなくなる。

親フィルターというのを装着していても、自分の子供以外は

可愛く見えないというのが"当然"の親御さんもすごく多いですし、

親になるまで子供にまつわるニュースが他人事だったというのは

親になるならない以前に、個人として福祉や社会に無関心だったか、

他人事でいられる土壌の揃った個人的経験によるものでしょうし、

(親フィルターという物の効果がそこまで絶大であるならば、

親フィルターを持たない小児科医・保育士・教師・社会福祉士など

児童福祉や教育、医療系の親フィルターを持たない独身従事者は

一体なぜ…。…なので私は個人の性格によるものだと思うのです。)

個人の因果にかかる主語を大きめに設定する作風をお好みの

ライターさんが記事を担当されているのかも?とも思いつつ、

しかし書評が掲示されているMAMApicks

私がこのブログを書いている2014年3月末日現在、ロゴ脇に

"親になったから、見えるものがある"というコピーが

明示されている育児当事者向けの媒体なので、

(「親になったから」という、経験の"深度"ではなくて、

経験の"有無"のみが理由の「見える」がメインコピーになっている

情報サイトなので、)親になったら見える、親になったら分かる、

というのが、そもそもの誌風・編集方針なのかも知れないですね。

他の記事に目を通していないので単なる妄想ですが、

ライターの皆さんが作風を合わせていらっしゃるというのも

もしかするとあるのかも知れません。

 

"分かっている(知識や経験に関する上位者)側"が

主な閲覧者であり

"分からない側(経験を持たない者)"は

ターゲットになっていないので、

このコミュニティ内で「分かる」「分からない」っていう

呼称と分類方法が議論を呼ぶことは先ず無いと思うんですけど、

「こういう誌風の育児媒体だからしたチョイス」ではなくて

「親になったから、親になってない人だから」

「分かってる側と分かってない側だから」という理由から

ナチュラルに湧いて出て来た呼称ならば、

育児当事者以外("分からない側")も存在する"社会"

…社会というのは、それこそその、「"分からない側"と、

どうしても共存しなければならないエリア」で、難儀な思いを

なさっているのでは…!?などと思案しながら拝読しました。

 

私は経験によるものだけを判断材料に「あなたは分からない側」と

分類されて呼ばれたことで、ちょっとばかり、やっぱり、

びっくりしてしまっているから、これが記事としてではなくて

日常のどこかに顕れたとしたら、溝として残ったかもなあ…って。

子供の頃に聞いた「大人になれば分かる」や、社会人が学生に言う

「お前はまだ学生だから分からないんだ」に近いのかも知れません。

「大人に"なれば"」「学生"だから"」っていう。

 

ちょうど先頃、週刊SPA!の特集記事で、育児問題の炎上について

こんなコメントを出した矢先だったのですが(笑)

「子持ちを『個人の状態』ではなく、独身の先にある『社会的な階級』だと思っている人たちが、“自分の身分”に応じて相手を見上げたり見下したりしながら憤ったり裁いたりする。勝手に見上げて憤る必要もないですが、見下された人が怒るのは自然なことですよ」

 “階級差”はもちろん、経験者と未経験者という絶対的な乖離がある限り、育児問題が炎上し続けるのは仕方のない話なのか……?

中村珍氏が教える、「育児炎上」を防ぐための考え方 | 日刊SPA!

勝手に見上げる必要はないと思うんですけれども、

上下の関係が生じる分類("分かる"側/"分からない"側)を宛てがわれた時の

反応としては、「どうしてこんな呼び方するの?」っていう気持ちは、

割と自然かなって考えています。今のところは。

言われて間もないからかも知れないですけどね。

言われ慣れていけばだんだんどっちでもよくなるのかも知れません(笑)

 

凄く雑で意地悪な(でも全然まったく有り得る)「捉え方の一例」

なんですけど、この【「いくもん!」を読んで、

分からない側の気持ちを分かろうとしてみた】っていうタイトル、

【「いくもん!」を読んで、

バカ側の気持ちを(利口側が)分かろうとしてみた】というニュアンスで

読解することも(可能か不可能かで言えば)、簡単に可能なわけで、

もちろんね、「捉え方の一例」「読解の可能性」なので、

「書き手(この記事のライターさん)の本意はこうに違いない!」という

意味ではないです。そうじゃなくって、

【「いくもん!」を読んで、

分からない側の気持ちを分かろうとしてみた】っていう文面が

起こし得る芳しくない読解(書き手が望んでいない読解)は

無限大なので、もう、いっくらでも意地の悪い読解はできるんですよね。

(もしくは私のように「はい…すみません、どんなに真面目に問答しても

どうせ分からない側と分類される側です…」と卑屈になったり…。)

…で、…んまあ〜…………、じゃあ

「分からない側に合わせて文面を考えろというのか!?」

「分かる人が分からない人に気を遣わなきゃいかんのか!?」

と言うと、いえいえいえ…。そうじゃないです、そうは思いません。

そういうんではなくて、育児に限らずなんですけど、

「そうとも言い切れない(気を遣うべきとは言い切れない)」と

私は思ってます。

 「そうだ」とも「そうじゃない」とも言えない。

「そうとも言い切れない」ぐらいしか言えないです。

 

 「気を遣わなきゃいかん」ということはないと思うんです。

でもね結局、「気遣わないことには分かってもらいにくい」

というのが(育児に限らず)

分かる側・分からない側の本質的な溝であり問題なので、

「分かって欲しい側が気を遣わないと願いが叶わない場合が多い」

が、この状況を示す正解の文章かな〜と思って、

私はこのように文章化しています。気を遣わないと叶わない。

 

「分かってくれないお前たちに気は遣わん!だが理解しろ!」でも、

「大した気遣いはできませんがご理解のほどお願い致します」でも、

(後者のほうが耳を傾けてもらえる可能性は上がるとは思うけど、

とは言え)どっちみち、

気を遣わずにみんなが分かってくれるなんていうハピネスな状況を

引き起こすのは、無理じゃないかな〜と思うんですね。

(そんなことできたら世の中の問題のほとんどは解決している…。)

 

「だから育児者は気を遣え」っていう一面的な話ではなくて、

あらゆるカテゴリに於いて、

"分からない側"と対話(か何か)をする時は、

「気を遣うしかない」のでは!?っていう、

どうしようもない話なんです。

 

たとえば私は同性愛者なんですけど、

セクシャリティの問題について、(文脈に倣って敢えて言うと、)

異性愛者として子持ちになった人と違って、

私は “分かってる側”です。

夫婦で育児してるママやパパたちはほとんど、

”分からない側”の人たち。

書評を書いたライターさんも、"分からない側"の人。

MAMApicksの読者さんもほとんど、それはもう、

きっと"みんな"と呼んでも差し支えなさそうな割合で

ほぼみんな、"分からない側"。

 

私は"分かってる側"なので、分からない側の気持ちを

分かろうと"してみた"りしなくもないんですけど。

………どうですか、"分からない側"のみなさん、

分かることができない人間として

一括りにされて呼ばれた気分は。

……………………とかって皮肉はさておき(笑)

 

"育児については分かってる側"の人も、カテゴリが変われば

"(分かっている側に気を遣わせる)分かっていない側"の人間に

なっちゃう(可能性が、あらゆる人には、充分にある)わけです。

必ずしも無理解な人ばかりではありません。それは私の周囲の

友人や知人たちが証明してくれていますが、とは言え

しかし当事者性(経験の有無)だけで裁くのであれば、

当事者以外はみんな

"分からない側"の人、ということになってしまいます。

 

…わざわざカテゴリを変えなくても、

同じカテゴリの中でも起こり得ますね。

育児経験者を一枚岩に"分かる側"としてみたところで、

実家のないシングルマザーに対して、協力的な実家もあり

夫も居る専業主婦は"分からない側"に分類されることも、

一日中育児に縛り付けられて働きに出る事を許されない主婦は、

保育園に子供を預けて外に出られる母親を"分からない側"と

呼ぶことも、お迎えの心配をしながら共働きしている

ワーキングマザーは一日中家に居る主婦を"分からない側"だと

思ったりすることも、きっとそれぞれあるのでしょう。

(人により。)

 

どんな人も、カテゴリや観測地点を変えてしまえば

縦横無尽に"分かる"と"分からない"の線を超えてしまうわけです。

 

私は同性愛者ですけど、彼女に子供が居るので、(→詳細はこちら)

(私の子供として育てているわけではないですが、それでも)

不妊に悩む人からすれば、私は「子供を持てない悩み」について

"分からない側"に分類されることもあるでしょうし、

子供を持てない・持たない夫婦から見た時、(将来を一切

約束せず気まぐれに彼女の子供と触れ合うだけの私でさえ…)

「育児について」"(多少なりとも)分かる側"に分類されることも

なくはないわけです。

誰しも相対的に、"分かる側"であり、"分からない側"の人です。

 

だから私は、

他者が他者を"分かる"ことや、"分からない"ことについて、

最近は総じて「お互い様でしょ」と思っています。

(以前はそう思っていなかったし、今後考え方が変わる可能性も

もちろんあるんですけど、今のところは。)

育児について私は無理解だけど、ほかのことについてあなたは

私に対して無理解でしょ。しょうがないよね。以上です。

それじゃ!(もしあなたが、私のある分野に対する無理解を

責め立てたら、私もあなたの別の分野に対する無理解を

責め立てたくなっちゃうかも知れないからやめて。)

って。

 

"分かってない人"…要するに、

"自分を容赦なく傷つける可能性を孕んでいる無知な強者"

"分かろうともしてくれない人"に対して、「どうしてこっちが

傷ついてまで頑張らなきゃいけないの?」って音を上げたくなるほどに

気を長く、なるべく友好的に、そして、丁寧に、根気よく、根気よく、

根気よく、根気よく接するしかないのは途方もないし、悲しくもなるし、

理不尽を感じることもあるけど、でももう、しょうがないですよね。

分かってもらいたいなら、分かってる側が歩み寄るしかないです!って

考えています。

 

(「育児は自分もいつかするようになるから他人事じゃないぞ!」

っていうのは、ある種の正解なんですけど、とは言え、

"そうなれる人"以外には関係のない、強者の持論でもありますし。)

(ただ、それが強者の論だろうと弱者の私的感情が置き去りだろうと、

個人的な異論があろうと、如何なる個人の思想があろうと、

育児は絶対に国を挙げて支援されるべきだと思いますが。)

 

"分からない側"は、分からなくても暮らせるから

分からないわけですよね。分からなくても暮らせている人に

「(あなたの生活に今のところ必要のないことを)分かってくれ!」

って頼むのは、そりゃあ、根気要りますよね(笑)

で、そこに残っているのって、私の知る限りでは

「聞いて貰い易い言葉や手段で根気よく伝え続ける」か、

「諦めるか」の二択。あとは何にもない。

「諦めがつかないけど、根気よく伝えるのは嫌で、苛々はする」

っていうのは選択肢じゃなくて、起こり得る感情ですからね。

選択肢は二つだけ。(しか、

今のところ私は見つけることができていません。)

 

方法論は育児と(多分)同じ。

時折疲れながら、ストレスを感じながら、でも

コミュニケーションが上手く行った時は心から喜びながら、

理想的な関係性を探るしかないんだよね〜っていうのが、

育児ではない分野で"分かってる側"に居る私の今の考え方です。

 

んでね、

私は応戦して反応を見たいとか、反論の反論が聞きたいとか

そういう好奇心や探究心がある時以外は波風を立てたくないので、

"分かっている人"と"分かっていない人"っていう分類は避けてます。

あんまりこう、好戦的な記事でもないのに

「こっちは分かってる側」「あっちは分かってない側」っていう

目線の位置バレる(又は誤解される)ような言葉は、

扱って損はしても、得はしないので、あんまね(笑)扱いたくない。

 

 

いや、わかんないですけどね。

こういう分類・呼称を使う何かメリットがあるのかも知れないし、

"分かっている側"を自覚している人が聞く分には

傷つく要素やうろたえる要素や不快を感じる要素のない

分類・呼称だから(特に今回の書評は"分かってる側"の人の目に

触れる場所に掲示されたものだから)、単純に「見出しとしては

キャッチーな言い回しだよね」って思うし、

アリですよねって思っているフシもあって、う〜〜〜ん、

だから、

個人としては、

人に「分からない側」って呼ばれたくないし、

同業者(ライター)としては、

「見出しは分り易いほうがいい!賛成!」って思うし、

『いくもん!』の著者とすれば、

「話題にできればなんでもいいや」って思ってるし(笑)

(だからこうやって言及できる箇所が記事の中にあったことを

良かったなって思いながら拝読した次第です。)

 

人間の何たるかを扱う時の目の高さの調整っていうのは

難しいなと思っています。

自分より低収入の人の前で「お金ない」って言うのと、

自分より高収入の人の前で「お金ない」って言うのって違うし。

童貞が童貞に「やーい童貞」と言っても

冗談で済む(場合が多い)一方、非童貞が童貞に「童貞側の人間」と

言ってしまうと変な空気になるのと同じような感じって言うか、

私は、育児に関しては自分の属性が"分かっていない側"だからさ、

私が「分からない側」「分かる側」とか言っても

何も起きないんですよね。私、独身だし子供居ないから。

パブリックなところで言葉選びに鈍感で居られるのは

"下位"の特権なんでしょうね

 ("下位"の存在しない"同位"だけ揃った空間も鈍感で大丈夫。)

 

【「分からない側」の気持ちを分かろうとしてみた】としか

"内容"を

("著者の心情"をではなくて、"記事の内容”を)

言い表しようがないわけじゃないから、

「子供のいない側の気持ち」を分かろうとしてみたでも

充分通じるし、そっちで良かったんじゃないのかなとか

(自分が「分からない側」って呼び捨てられたくないから、つい)

思っちゃうけど、どうだろ。わかんないけど。

やっぱり、分かってもらえてるかどうかにフォーカスしたいなら

"分からない側"と呼ぶしかないのか。

 

 「分からない側」の気持ちを分かろうとしてみただと

"分かる側に居る自分"と

"分からない側の他者"っていう分断が起きて

上下関係が生じても仕方ない相関図の構造になっちゃうから、

難しいですよね。

文章やなんかを発表する上での余談なんですけど、

属性を分断した上で"分からない側"の人から

「分かろう」「分かってあげよう」「分かりたい」という

前向きな気持ちを削ぎ取ることなく何かを書き切るのは

相当に難儀なことで、私はそれを絶対遂行できる技量がないから、

分類する機能のある冠には極力触れないようにしてるんです(笑)

 

私だったら「分かろうとしてみた」も、語感が軽くて

(私みたいな揚げ足取りに)変な読解されたら嫌だなと思うから

私がタイトルをつけるなら、(かつ、

"分からない側"というキーワードをどうしても使うなら)

【「分からない側の気持ち」を思い出そうと思った】かな。

 

"思い出す"ということは要するに

"過去に私もそうだった"ということだから、

「あなたのことを言ってるんじゃないんです!私でもあるんです!」

って、自分が過去に"分からない側"だったことを念押しする…!

育児者向けの媒体とは言え、誰が読むか判らないから(笑)

(少なくとも、この書評で"分からない側"の筆頭にあたる作者は

読むだろうから、そこから当事者外へ伝播することを想定して。)

(特に、MAMApicks自体が開かれたメディアだから、

「メディアが採用している表現に対する感想」として、

展開しやすいですし。)(…私が「書評を掲載してもらった」っていう

御義理を扨措いて書評記事の書評を書くような性格だからですけど!)

 

そんなわけで、私がこの文脈で推す無難タイトルは

【「分からない側の気持ち」を思い出そうと思った】です!(笑)

過去の自分を"分からない側"に帰属させることで、

"分かる側"の子持ち・"分からない側"の子無しとして

「正対」してしまっていた位置関係を、

"あなたと以前の私は同じ"っていう、「並列(気味)」に

整えてから主張をする。…猾いやり方かも知れないけど、

でもやっぱり、一線を挟んで対峙するよりも

同じ岸で並んで話したほうが楽だし!

違う意見を持って違う立ち位置から向き合うって大変。

意見は違っても同じほう見て同じ場所に立ってるほうが、

身近な状態で聞いてもらえるんじゃないかなって。

 正対ではなくて、並列関係になったほうが、なんとなく、

ね、丸く収まるじゃない?って思うわけですよ(笑)

 

育児の話は特にね、必ずしも皆が

"分かる側"に

"なれる"わけではないので、

(不妊、セクシャリティ、経済、体調、環境ほか諸々)

そうでなくても上下関係を感じやすい仕組みのなかにあるわけで、

「"分かる側"の人がラッキーで選ばれた人に見える」っていう

感覚も、「"分かる側"に"なれない側"」の人にしてみれば、

珍しい話じゃないと思うんですね。

で、

"分かる側"の人にしてみても、育児が大変で、理解して欲しい

苦労がたくさんある上に「ラッキーな選ばれた人」なんて

思われて、羨望を引き受けるのは億劫なことだと思うので、

やっぱり、

別の立場として正対するより、お互い(せめて先ず建前だけでも)

"分かる側"と"分からない側"の岸を分断している川を埋めて

(川を埋め立てるのは"分かる側"の人です。面倒でしょうけど。

"分からない側"は川があることに不便を感じていないので。)

川を埋め立てて、地続きにして、

"分かる側"と"分からない側"ではなく、

"子供が居る人"や"子供が居ない人"という状態の

"個人"対"個人"として、分断のない

同じ陸地で傍で暮らすのがいいんじゃないかなあなんて

考えたりしております。

(埋め立て地って不安定ですけどね。)

 

あと、

"分かる側"になりたくてなりたくて死ぬほど思い詰めてる人も

含まれてる"分からない側"の層に向かって、

「分からない側」って、絶対強者が呼んでしまうのは、これは

笑い事にできる要素ゼロで、徹底的に酷な言葉だと思いました。

(こういう言葉選びをする時、多くの書き手には

「どうしようもない事情がある人は含まれていない」

「本当に無理解な"分からない側"だけに言っている」という

善意に満ちた前提はしている筈だと私は思い込んでいますが、

どうしようもない事情のある人は

容易くどうしようもない事情を公開してはいないので、

大抵の場合、個人を特定し考慮した上での執筆は叶いません。)

この一刀両断の強さは、ここまで長々話した文脈とは別次元で

圧倒的です。幸い私は自分が不妊かどうかまだ知らなくて、

「作ればできる」と思い込めているので、今の私には

想像もつかないのですが、もしも私が不妊症なら、

自分が"分かる側"になれる可能性が著しく低いことを知った上で

「分からない側」と呼ばれるダメージは物凄いでしょうから、

自分が不妊かどうかを知らなくて本当に良かったと思いました。

 

育児は

「問題を(頭や心で)理解すればいい」という一筋縄ではなくて、

「子供ができるまでは"分からない側"」という分類をされがちな

分野ですね。(妊娠〜分娩を筆頭に未経験で理解しようのない事柄が

存在することは当然ですが、…なにしろ父親でさえ理解できない

部分も多々あるわけですから。…ですが、そういう話ではなく、

分かりようのない事柄も、精神的に歩み寄りが可能な事柄も、

一緒くたにされがちですね。という文意です。)

私は育児に対する人を経験値的な属性で呼び分けるのが怖いです。

(それから、もしかすると子供を亡くした人を「子供が居ない人」

と呼んで、"居たこと"を"無"として扱っているかも知れません。)

 

この記事も、「"分かってくれない人"」ではなくて、

「子供の居ない人=分からない側」と呼んでいるので、

この文脈上では、 不妊治療に成功しない人は絶対に

"分かる側"の仲間入りはできないんですよね。

不妊に限らず、病気や、家庭の事情や、体の状態や、

色んな理由で"分かる側"になれないケースがあまりに多いから、

そのどうしようもなさを私は手に負えないし、自分のこととして

考え込んで咀嚼することも多分できないから、重く受け止めて

深く考えずに済むように、育児に関しては、ここで言う

"分かる側"に私が仲間入りできる日が来ても 

"分からない側"っていう分け方は、育児でだけは本当に、

しないでおこう、私には処理し切れない…だから処理せずに

済むように、この分け方はここでは使わない。

って思ったりしてます。

 

まあそんなこといいながら、

"下方"からズバズバ、"分かる側"に文句をつけるマンガを

連載してるわけなんですけども(笑)

 

私自身が

「独身・子無しの漫画家が」「育児について」っていう位置で

線を引いた 企画をやっている以上は、この線引きに合わせた

レビューになるのは仕方ないかも知れないんですけど、元々、

育児は”子なし”と”子あり”で二分されがちだから、そこがね、

その辺りの分類がですね、もうちょっと細分化されると

いいですよね。って考えています。

一口に言ってもね、みんな 生い立ちとか環境とか諸々で、

全然物わかり違うじゃない。

例えば、

1ヶ月前にママになった人と、

物凄く歳の離れた妹や弟の世話を赤ちゃんの頃からしてた

子供の居ない独身者、

どっちが育児について物わかりいいかって

正確には測定できないじゃない。

(妊娠〜出産に関する肉体的な物わかりは絶対に前者だけど。)

世の中の人みんなグラデーションなわけで、

白黒つかないんですよね本当は。

 

だからこう、何かを大きく分ける時は極力、

状態の説明・事実の説明以外の機能を持たない言葉だけで

限界まで文面を組みたいなと、志向を再確認した次第です。

(たとえば、「独身」「子無し」「妊娠・出産経験なし」など。

これらは個人の経験の事実・生活の状態だけを表すのみで、

感情や理解度などは情報として含まれていない言葉です。)

どうしても感情を込めた分類を避けることが難しい状況も

あるんですけど、とにかく減らせる限り減らして、

文意を損なわずに代替可能な無感情の呼称がある場合には

そちらを限界まで選びたいなと、書評頂いたのをきっかけに

明文化せずにぼんやり思っていたことを整理できました。

良かった。

 

私は私以外の子供の居ない独身者の味方ではないし、

すべての育児者の敵でもなく、

ただそこに問答の題材が転がってきたら、業務上考察するだけです。

 

今後も中村さんの問答を読みたいなと思う一方で、中村さんが今後お子さんを持つことがあれば、その時には改めてその育児本も読んでみたい、と期待してしまった。

 

ですから、私が子供を持ったその時も(そんな時がもしも訪れたら)

また、私は私以外のあらゆる育児者の賛同者にもならず

すべての子供を持たない人・持てない人とも対峙せず

"分かる側"になることも"分からない側"になることもなく、

著者として、私として、個人的なことを描けたらいいなと思います。

 

混迷社会の子育て問答 いくもん!

混迷社会の子育て問答 いくもん!

 

 

『いくもん!』(問答34)試し読み

→前の号に掲載された問答33「同性愛者の育児」の試し読みはこちら。

週刊SPA! 3/11号(3月4日発売)掲載・問答34「同性愛者の育児2」

※同性愛者(である彼女)の(個人的な)育児(であってこれが同性愛者のすべてではない)!

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▽【混迷社会の子育て問答 いくもん!】試し読み一覧

・問答001『いくもん!』第1話 人の親のすること | 日刊SPA!

・問答002【試し読み】『いくもん!』キラキラネーム最前線 | 日刊SPA!

・問答018「イマドキ昔話事情」紹介記事

     幼稚園・小学校での昔話の改変は是か非か

     ――浦島太郎が5人、カニが殺されない「さるかに合戦」 | 日刊SPA!

・問答019【試し読み】『少年Mの物語』

・問答024【試し読み】 『いくもん!1』ゲームでキレる子供 | 日刊SPA!

・問答033「同性愛者の育児」試し読み

混迷社会の子育て問答 いくもん!

混迷社会の子育て問答 いくもん!

 

『いくもん!』の"戸堂(仮名)さん"

最近身辺に起きた(個人として変化が大きな)出来事と言えば、週刊SPA!の誌面で

同性愛者であることを明示した上で、子持ち(しかも3人)の彼女が居ることを

カムアウトしたことです。 

彼女は"戸堂(仮名)さん"として週刊SPA!の誌面に登場しています。

(2月25日発売【週刊SPA! 3/4号】掲載・『いくもん!』問答33「同性愛者の育児」より)

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(時折傍目には10歳児を筆頭に三児の親のような生活をしていなくもないものの、)

私は浮ついた独身者としての生活も絶やしてはおらず、身を固める気持ちも

今のところまったくなく、私自身の子供はおらず、持つ予定も当面なく、かつ、

戸堂も「私たちの子供」としてではなく「自分の子供」として子を生しており、

当事者間(戸堂と私)では「私たちの関係性と何に納得して付き合っているのかは

説明が難しいから、黙っていればいいよ」ということで落ち着いていました。 

 

*掲載後、私の彼女との付き合い方について

読者の方にご指導ご鞭撻を頂いたので、こちらで返答しています。

 

 

彼女登場の発端は、この前の週に掲載された【問答33 よその男の子供】…。

"もしも子供が自分の子じゃなかったら!?"というテーマで

お父さん100人にアンケートを行いました。

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このアンケート結果を受けて私はこういう結論(見解)を出します。

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「向き合う相手は血縁のない子供ではなくあなたの奥さんを妊娠させた男だぞ!」

というコメント、ただ不安を煽るだけの意地悪なコメントのような気もしました。

じゃあ、なんで著者はこう言ったのかっていう情報開示が必要(…ではないけれど、

あったほうがせめて人道的)であるかな、と思いました。思いましたし、編集部から

「作者がどういう人間であるかをもっと開示して欲しい」という要望も入りました。

 

同性愛者だから、こう思う」では主語が大き過ぎて言い難い。

べつに、私がこう思うのは"同性愛者だから"というのも大きいけれど、

"同性愛者はみんなこう"という代弁をするわけにはいかない。

他の人のことは全然よく知らないから。

じゃあ他の理由は?と言うと、ごく単純に、

「奥さんからこんな騙され方をしたら難儀だ」っていうのがあるけど、

「だって難儀だから」ってマンガの〆として全然機能していない。

なんで難儀だと思うのか描かないとまずい。そうなってくると私は、

どうしてこの感覚(「相手は自分のものだと思っていた女性を妊娠させた

男だぞ!」というの)を実感したのかを描く必要がある。

(おまけに、私という人物像の輪郭を浮き彫りにすることを編集部も望んでる。)

 

…そうするともう、「彼女に子供が居る」を描くしかなくなってしまって

漫画出演に常々難色を示している戸堂に交渉しました。

「30分ください」と言われて、きっかり30分後に許可が出ました。

(一体どうしてそんな短い時間で決断できたのか後日尋ねたら、

「あなたが漫画家なのは元々知っていたことなので」とのことでした。

多分、いつかしつこく交渉されることを想定していたのだろうなあと思います。

申し訳ないです。ありがとうございました。)

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戸堂はこの、「よその男の子供」の回の終盤に登場した後、

問答33「同性愛者の育児」問答34「同性愛者の育児2」

問答35「習い事DIY」…と3週に渡って協力してくれました。

(◎問答34「同性愛者の育児2」を全ページ試し読みする)

 

常々、戸堂(仮名)を漫画のネタとして面白い人材だと思っていた私は、

「たくさんのこと我慢して協力してくれてありがとう、愛してるよ」で

この話を止めれば二人の間で綺麗な小話が纏まることは理解しつつも、

「済し崩しで拝み倒すなら絶対に今だ!!!」と思って、

他の漫画を公開する許可も取り付けることに成功しました。

本当にいつもありがとうございます。

 

戸堂は1巻にも私の友人として

問答11「ミキティ騒動」問答17「育児の被害妄想」にそれぞれ登場しています。

併せて宜しくお願い致します。

混迷社会の子育て問答 いくもん!

混迷社会の子育て問答 いくもん!

 

 

▽【混迷社会の子育て問答 いくもん!】試し読み一覧

・問答001『いくもん!』第1話 人の親のすること | 日刊SPA!

・問答002【試し読み】『いくもん!』キラキラネーム最前線 | 日刊SPA!

・問答018「イマドキ昔話事情」紹介記事

     幼稚園・小学校での昔話の改変は是か非か

     ――浦島太郎が5人、カニが殺されない「さるかに合戦」 | 日刊SPA!

・問答019【試し読み】『少年Mの物語』

・問答024【試し読み】 『いくもん!1』ゲームでキレる子供 | 日刊SPA!

・問答033「同性愛者の育児2」試し読み

『いくもん!』便り(2)

2月25日 A様より

2014-02-25 13:17:47
[ email ] a@yahoo.co.jp
[ お名前 ] a
[ ご用件 ] 
はじめまして。
今週号のSPA!を読みました。

なんだか彼女とその子供のとの関係について綺麗事でまとめようとされていたようですが、私にはどうも責任逃れのようにしか思えません。
気持ちいいことできる彼女は欲しいけど、結婚は決心できなくてズルズル関係を伸ばしている無責任な男と何が違うんでしょうか?

そういう点で言うなら、女同士って楽ですよね。責任取らなくていいんですから。
男の立場にある私から見て羨ましく思います。

子供の作り方において、国の制度に何か言いたげでしたが、同性愛に理解の浅い制度のおかげで、中村さんのような無責任な方は救われてるん
じゃないですか?
だって、責任取らなくていいもの。
制度のせいにしていれば良いわけですからね。

ご自分のことを低く評価されているようですが、中村さんのやってることって単なる卑下慢ですよ。
自分を悪くいうことで特別な立場に立ち、責任も負わず努力をしようともしなくて良い免罪符を手に入れた気になってるだけでしょう?

だいたい、そんなに欠陥人間なら別れれば良いじゃないですか?
協力はするって、別に恋人である必要はないですよね?

あなたのように半端なことしてる人がいるから、同性愛者が色眼鏡で見られるんじゃないですか?

もう一度書きますが、中村さんと無責任な男って何が違うんですかね?

返事は結構です。
自問自答してみてください。

なんだか最近は漫画の方もクレームを恐れてか、日和った感じになってつまらないですよ。
「傷つける漫画を描いてるのを理解してる」なんてポーズを取って、批判を避けようとしてるのが見え見えです。
そんなに批判が怖いなら、人を傷つけるのが嫌なら、連載やめたらどうですか?

恋愛関係と同じでズルズル伸ばすことしかできませんか? 

 

2月25日発売・週刊SPA! 3/4号掲載「同性愛者の育児」のご感想です。

(※リンクからマンガ全文読む事ができます。)

 

>はじめまして。
>今週号のSPA!を読みました。

 
ありがとうございます。

>なんだか彼女とその子供のとの関係について
>綺麗事でまとめようとされていたようですが、
>私にはどうも責任逃れのようにしか思えません。
 
あれで綺麗ごとに見えるとしたら色んな受け取り方があるなあと思いますが、
責任逃れのようなものなので読解としてはある側面から正解です。
私は彼らの責任を取れる自信がないですから、責任ある決断を拒んでいます。
彼女も、私の無責任なところ、自信のなさ、性格、などを理解した上で、
将来に関する要求はしてきません。
「だから私は問題なく素晴らしい彼女である」という話ではなく、
「はい、今の私にはまったく責任を取れる気がません」という自覚の表明です。
安定した精神も、安定した収入も、安定した誠意も持っていません。
ベビーシッター、キッズシッターとして機能する面は(多少)あったとしても
育児には向かないでしょう。私が子供なら、私のような人間は、
楽しく遊んでくれて、欲しい物を買ってくれて、勉強を教えてくれるだけの
都合のいいおばちゃんで居て欲しいと思います。親になって欲しくありません。
私は今のところ、人の親にはなれません。責任が取れない以上、逃げ続けます。
 

>気持ちいいことできる彼女は欲しいけど、
>結婚は決心できなくてズルズル関係を伸ばしている無責任な男と何が違うんでしょうか?
 
(これはメールを頂戴してからだいぶたってからの返信なので、)
ここで言及されている「今週号」の翌週発売された号で明示しましたが、
その気持ちいいこともしていません。が、それはそれとして置きましょう。
私が"気持ちいいことできる彼女は欲しいけど、
結婚は決心できなくてズルズル関係を伸ばしている無責任な男"と
何も違わなかったとして、違わなかったとすれば私は「違いませんね」という
返事をするだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。
無責任な男と違わないことを付き合う良さが上回れば戸堂は私を許すでしょうし、
デメリットが上回れば、私は見限られるでしょうし、それだけの話です。
 
 
 
>そういう点で言うなら、女同士って楽ですよね。責任取らなくていいんですから。

"男女"でも責任を取らないまま押し通そうと思えば通せますよ。
尤も、女同士では私が彼女を妊娠させてしまったということは
先ず起きないので、生物の仕組みとして1つ、
異性愛者の男性よりは責任を取る可能性は少ないのですが。
 
私たちの婚姻のことを「責任」と呼んでいらっしゃるのであれば、
(仮に同性婚が可能であるとしても)
「女同士って楽ですよね」は違います。
「中村さんって楽してますよね。」です。
『女同士』では主語が大きすぎます。他の女同士の人たちに怒られますよ。
(私が観測した限りでは、)私のようにだらしない女性は少数派です。
 
 
>男の立場にある私から見て羨ましく思います。

本当ですか?よかったです。
私は羨ましがるより羨ましがられるほうが好きです。
 
羨ましくて仰ったのではなく厭味として仰ったのであれば、
こうでも言わないと気が済まないような何かが過去にあったか、
ムシの居所が悪いのだろうなあと思いました。
 
 
>子供の作り方において、国の制度に何か言いたげでしたが、
 
人体の仕組みを不便だなという気持ちはあります。
しかしながらその点は国家ではなく創造神だとか宇宙だとかの
壮大なお話なので、特段どうしてくれというのもありません。
私たちはこういう体の仕組みです。
 
もちろん法整備が進むに越したことはありませんが、
私がルサンチマンを感じるのは法ではなく人体の仕組みなので、
死ぬまで解決されることはないでしょう。
 
ただ、「絶対に男性との性交は嫌だ」という女性同性愛者に関しては
私の比ではないほど、国の制度に切実な問題を感じているでしょうね。
 
 
>同性愛に理解の浅い制度のおかげで、中村さんのような無責任な方は救われてるん
じゃないですか?

だいぶ混乱されているようですが、
国がどんな仕組みを整えたところで、
彼女の子供は、私と話し合って彼女が産んだ子ではなく、
私と交際を開始する前から居た子供、私の意志とは関係なく産まれた子供です。
 
彼女が子供を産む・作るにあたって、私の確認も要求も一切ありません。
許可も拒絶もしていません。彼女の人生です。
そこに私が、「あなたに子供が居ても構わないから」という感情を以て、
(一方彼女は「子供が居るのですべてをあなたに費やせませんが構いませんか?」
という不安のあった時期を以て)関わっている。それだけです。
 
仮に婚姻関係にあったとしても、「作るから」と言われたら、
「はいわかりました」だけです。本人が欲しいなら好きにしたらいいのです。
私とは考え方が違うのですし、私は作ってあげられないのですから、
私に子供を授ける機能がない以上、私に合わせて人生を制限する必要はありません。
好きにしたらいいのです。
私はそれに対して、注げる限り好意を注いで、費やせる限りの時間を費やし、
支払える限りの金銭を支払い、即座に咀嚼できなくとも賛同しながら歩み寄り、
適宜、向き合い方を考えるだけです。
 
国の制度がどう変わろうと、私たちの相関図は変わりませんし、
国の制度がどう変わろうと、戸堂が(一人で生きていく分にも)持った子は
戸堂の責任下で産まれた子であって、私に"戸堂の子供の出生"の責任は
そもそも1%もありません。
 
ただ、そこに人間関係がある以上、福祉の必要な子供がいる以上、
(そして私が戸堂とその子供たちに好意的である以上、)
できる限りはしますし、できないこと(将来の約束)はしません。
私の距離感で可愛がっていきます。
ということです。
 
同性愛者の婚姻や育児を支援する類いの国の制度によって、
子供の居ない独身者という佇まいを維持したい"私が"(私が、です。)
救われることも救われないことも、今のところは何もありません。
 
制度が変わって救われるのは私ではなく、むしろ戸堂でしょうが、 
国が変わらなくとも私に改善の余地がある現状を
責めるでもなく叱るでもなく変えようと努めるでもなく、
不満のある"箇所"を怒って嫌うだけで、"私そのもの"を切り捨てない彼女に
感謝していますし、尊敬していますし、出来る限りのことをしていくつもりです。
が、(あなたや世間ではなく、戸堂に対して)申し訳ないことですが、
できないことはしません。
 
そして、「できないことはしません」と人前で言ってのける私を
怒って許す彼女に、できることだけは全部しようと思っています。
(できないことはしません。)
 
 
>だって、責任取らなくていいもの。
>制度のせいにしていれば良いわけですからね。

だいぶ混乱されているようですね。
私は国の制度が変わっても射精できませんし、
戸堂はもともと"私との子供"というつもりで子供を産んでいませんから、
制度によって彼女が受ける社会的福祉も(現状の私との関係性であれば)
何も変わりません。
 

>ご自分のことを低く評価されているようですが、
>中村さんのやってることって単なる卑下慢ですよ。

卑下は自分のことを低く評価することを含みますから、
言葉の意味は概ね合っています。
で、あなたは開けっぴろげな卑下を悪いものとして(恐らく)前提しているので
「中村さんのやってることって単なる卑下慢ですよ。」という一言に
何らかの精神的効果を見込んで仰っているのかも知れませんが、
私はその辺り「べつにいいんじゃない」程度の認識ですから、
「はい。そう見える場合もあるでしょうね」と思います。
 
"卑下慢"という言葉については、そもそもどういう言葉であるか
もう少し深追いして調べてからお遣いになったほうが好いかと
感じますが、私は"卑下慢"はしておりません。
 
結婚を前提とした付き合いでもないのに最初から生活の面倒を見て、
子供のイベントごとには参加して、時間があれば育児を手伝いつつ、
ただの彼女という位置に収まっているので、
(移り気で、他の女性をすぐ褒めて好意を持ってしまうところは
世間的に倫理的でないとされるでしょうが、)
極端な劣等感を感じるほどの放置もしていなければ、不仲もありません。
私はそんなに深々と
(そして裏を返した際にどこそこ好意的に)自分を卑下していないのです。

 

(私の割には)円満の範囲だと思うので、戸堂に謝辞を向ける必要はあっても、
私を卑下する必要が、私にはほとんどないのです。
卑下慢というのは、卑下する己に”慢"を感じなければ成立しません。
 
「浮気してごめんなさい」というのは、
卑下慢などと呼ぶほどの深度にないでしょう。
戸堂との間には「他の女性に好意を持ったら必ず報告すること」という
取り決めがあるため、これは、白状の類いです。
 
 
>自分を悪くいうことで特別な立場に立ち、
>責任も負わず努力をしようともしなくて
>良い免罪符を手に入れた気になってるだけでしょう?
 
私は自分を悪く言わなくても、責任を負わなくても、努力をしなくても
戸堂が「このままでもいいよ」と言えば、極上の免罪符が手に入るので、
免罪符を手に入れることを目的とした努力を世間に対してすることはありません。
 
世の中が私を免罪しなくても彼女が「べつにいいよ」と言えばいいんですし、
世の中が正しいとすることであっても彼女が「だめだ」と言うなら、だめです。
 
世間から貰ってきた免罪符なんて彼女に見せたところで有効なわけないんです。
「こんな免罪符が通用すると思うな!」と叱られて終わりです。
 
自分を悪く言ったぐらいで立てる立場は大して特別ではありません。
私は(客観的に見てどう考えても自分が悪い場合に)
自分を悪く言うことがとても多いですが、
今のところ特に何も起きませんし、立場は変わりません。
 
"努力"は具体的に何のことを言っているのか読解しかねますが、
このメールを送信した時のあなたが見ず知らずの他人の努力の有無についてまで
わけもわからぬまま言及しなければ気が済まない状態にあったことは理解します。
その性格を矯正する努力をしなければならない時が来るかもしれませんね。
でも、来ないかも知れませんね。
私はあなたの、こんなメールを見ず知らずの他人に送らなければ
気が済まない部分については好きではありませんが、
(戸堂もですし、私も、)嫌いな箇所があっても、
そうなってしまった理由だけなんとなく理解できれば
「まあいいか」で流しているので、そういう、細かくない人間を選んで付き合えば、
矯正しなくても大丈夫かも知れません。
 
あなたもきっと、こんなメールを送ってしまうような時間以外は、
善い友人が居たり、誰かと肩がぶつかればすみませんと言えたり、
真っ当な時間を過ごせる長所のある人間なのでしょうし。
 
知りませんけど。
でもまあ、私からは見えないどこかに長所はあるでしょう。
 
あなたから見えない長所が私にあるように。
 
 
>だいたい、そんなに欠陥人間なら別れれば良いじゃないですか?
 
だめです。
私はこんなにダメですから別れましょうと提案したこともありますし、
浮気もするし綺麗な人が居たら選べなくなってしまうので別れてくださいと
お願いしたこともありますが、「だめだ」と言われたので、だめです。
  
 
>協力はするって、別に恋人である必要はないですよね?

ありませんよ。他人でも親子でも敵同士でも
協力というのはその気になればできるものです。
 
私が戸堂に協力するかどうかは、
恋人という関係性とは(入り口に因果関係はありますが、それ以降は)
まったく関係ありません。私が戸堂と恋人ではなくなっても、
お互いに(何かとんでもないことが起きなければ)協力は可能です。
 

>あなたのように半端なことしてる人がいるから、
>同性愛者が色眼鏡で見られるんじゃないですか?

半端なことをしている人の人口は異性愛者のほうが圧倒的多数ですが、
あなたは異性愛者だから色眼鏡で見られているんですか?そうだとしたら
とんだとばっちりでかわいそうですね。
 

>もう一度書きますが、中村さんと無責任な男って何が違うんですかね?

決定的な差異は性別でしょう。
個体としても異なりますし、個々で遭遇するケースが異なります。
 
私にはその言葉は効きません。
そんなものが効く私だったら戸堂にひっぱたかれたところで
改心しています。
 

>返事は結構です。

あなた有効なメールアドレス書いてありませんよね。
「自分は好き勝手なことを匿名で言いたいけど言い返されるのは苦手です」
「自分の感情はぶつけたいけれど面倒くさそうだから遣り取りはしたくない」
というほうが感情と近いのではないかなと拝察しております。
 
「返事は結構です」という文章は、渡り合う支度があるのに
敢えて拒んでいるように読めます。
 
 
 
>自問自答してみてください。

しません。
二人以上関わることは相手に聞きます。
 
私が自問自答するのは
・自分だけの問題の場合。 
・相手と問答する際に自分の考えや立ち位置を明示する必要がある場合。
概ね、上記の二通りのみです。
 
 

>なんだか最近は漫画の方もクレームを恐れてか、
>日和った感じになってつまらないですよ。

私は日和ろうとして日和れませんし、怒ろうとして怒れないんです。
決まったネタで取材に行きます。そこで出会った育児論が真っ当だと思えば
賛同するしかありません。
(扱き下ろす要素があったとしても、
扱き下ろす必要なんて私には本当はないのに、)
扱き下ろせる要素のない状況下で、人を扱き下ろすわけにはいきません。
漫画が日和っても、それでつまらなくても、です。
 
ですから、「そろそろダメな人間が出て来ないと
いい加減メリハリがないな」と思って、私が登場したんです。
 
 
>「傷つける漫画を描いてるのを理解してる」なんてポーズを取って、
>批判を避けようとしてるのが見え見えです。

そんなポーズで批判を避けられるわけがないことは
あなたがこのメールを私に送った時点で証明されているでしょう(笑)
 
私の佇まいが批判を避ける姿勢に心底見えているのだとしたら
色んな人・色んな作家さんをご覧ください。
もっと批判を避けられる佇まいは必ずあります。
 
どうしても(あなたや私のように)他者を否定・批評するにしても
あなたは日常的にそんなに批判を浴びますか?
私にこっそり、名前も書かずに送ったこのメールと同じことを
「欠陥人間なら別れろ」という言葉を、名前を添えて人前で堂々と
アウトプットしたとすれば、批判を受けることもあると思いますが、
"好意的な人たちには気付かれないようにこっそり他者を否定をする"
というような佇まいというのは、否定を受けない佇まいです。
そうしたものを選べば、私も先ず批判を受けないでしょう。
 
ただ私は、中村珍を、この佇まいで(当面)やっていくんです。
人前で多くのことを堂々と言うほうが正義的だからではありません。
なんとなく、この芸風とこの作風でここまで来たので。
 
転機があれば変わるかも知れません。
或いは歳を重ねて、感情の基礎体力が落ちてしまったら、
心の足腰が脆くなってしまったら、
こういう対応をやめると同時に
面倒で、あなたからのメールは最初の数行を読んで、
相手にせず捨てて、あなたの存在を無視するかも知れません。
ただ、今はまだ、表立ってお相手仕るだけの体力があるので。 
 
 
>そんなに批判が怖いなら、人を傷つけるのが嫌なら、
>連載やめたらどうですか?

長く休めるだけの蓄えのない場合、人は、仕事を辞めると人を養えません。
自分も食べていかれないんです。単純に、世の中はそうなっています。
私は批判よりも生活が傾くほうが怖いので、批判を拒むために
生活とここまでのキャリアを容易く投げ出すような選択をするのは嫌です。
 
私は自分の生活を守る必要がありますし、親類にお金を入れる必要もあります。
もちろん、戸堂の家計も支えなければなりません。子供たちの誕生日には
何だってプレゼントも買ってあげたいし、誕生日でなくても何だって買いたい。
一緒にやりたいゲームもあります。他の綺麗な女性にプレゼントもしたいです。
戸堂にもたくさん美味しい物を食べさせたい。私と居ることで楽もさせたい。
(仮に戸堂たちに甲斐性を見せる必要などなくとも、孤独であっても、
いずれにせよ働かなければ暮らせません。私にとって貧乏は辛いことです。)
クビになるまでやめません。
 
私は日常、
"嫌われることを怖がりながら連載をしている"のではありません。
"楽しいことも嫌なこともあるけど仕事に行く"。これが日々のすべてです。
働いているだけです。暮らすために。
 
批判は、されないに越したことはないですが、
仕事(作風や芸風を含めたものです)や生活と秤に掛けたらば
微々たるものです。
 
又、私にとって『いくもん!』は、他の作家さんに譲りたくないから
引き受けた仕事です。そして私は『いくもん!』を描く私について
批判を怖がらないところや、人を傷つけることに結果として躊躇がない性分、
こうしたお便りを何通・何十通受けても仕事に影響が出ない"慣れ"の面では
適任者だと思っています。
私を好まない人も、私の言い分を好まない人も居るでしょうが、
(依頼が途絶えるまでは)続けるつもりです。
 
近所のコンビニのレジに接客態度の気に食わない店員さんが居るのと
同じだと思って諦めてください。その店員さんも、働く必要があるから
そこでの仕事を辞めないのです。(でもクビになったら辞めるでしょう。)
 
 
>恋愛関係と同じでズルズル伸ばすことしかできませんか?
 
恋愛も連載も需要がなくなれば終わります。
私が延ばすことを望んでも、相手は打ち切れるんですよ。 
 
 
 
このメールをIPアドレスなどあなたの接続情報を添えて
遺書でも書いて自殺して見せて「あんなメール送らなきゃ良かった〜」
とあなたが一生引き摺るような嫌な思い出に変えて差し上げるぐらいの
いたずら心もないわけではないですが、そんなことしてしまうと、
戸堂も子供たちも彼女たちも友人たちも悲しむのでごめんなさいね(笑)
SPA編集部も作家の急逝は困るでしょうし。
 
それはそうと、見ず知らずの私が
浮気をした、婚約をしなかった、…それを見て、
「欠陥人間」と呼んだメールを送らないと気が済まない…。
根が深そうなメンタルの状態だなと思って拝読しました。
(…あなたの気を定かでなくしてしまう原因が過去に何もないのに
このメールを送っているのだとしたら、更に深刻ですが…。)
 
私生活で彼女に浮気されたとか、親御さんが浮気をしていたとか、
何か、こういう話で冷静でなくなるような出来事がありましたか?
私が気に食わないだけなら構いませんが、気分が沸騰する原因が
私個人への嫌悪ではなく、私の恋愛の姿勢への嫌悪だとしたら、
私を扱き下ろしたぐらいじゃ治らないと思うので、
ご自身の気持ちを波立たせるだけ無駄なことですし、
辛いでしょうから心配ではあります。ただ気に食わないだけなら、
私があなたに費やした寄り添う心は即座に引き上げますが(笑)
 
あなたの目的がなんらかの形で私の恋愛方針を捩じ伏せたり
否定すること(否定を私が承る事)であるとしたら、
あなたにそれはできません。
 
私は彼女との問題については、
彼女からの否定以外には耳を貸しませんし、
彼女からの肯定以外では納得しません。 
 

ここでは私に直接届いた週刊SPA!連載作『いくもん!』へのお便りに、"育児に関する問答"にならない程度のお返事をしていきます。本作の是非に関する問答、本作への私自身の関わり方への問答など、漫画本文に書く必要のない事柄を中心に言及しますので、漫画本文に使うネタをこちらで消費することはありませんが、ここから漫画本文が派生することはあると思うので、興味のある方はたまにブログもチェックしてみてください。仕事の合間に書くので、私が返信に割ける時間は1通に対し1〜2時間ちょっとです。すべてを最適な表現で書き切ることはできません。最低限かつ最大限のお返事を致します。又、すべてのお便りにこうしてお返事ができるわけではありません。私に直接届いたお便りに対して私が勝手に書いているブログ記事です。こちらの記事は漫画本文と異なり、SPA!編集部の監修は入っておりません。 匿名性を保証した上での全文掲載です。お名前・地名・年齢等は必要に応じて差し替える場合がございます。